アンドレイ・フォロンソフの名はロシアで有数な時計師として知られています。美しく精巧な彫刻を施した時計作家というだけではなく、サンクトペテルブルクの街の保存活動家としても国際的に知られています。「私が生まれ育った環境は時計屋、宝石屋、骨董品のコレクターに囲まれていました」とアンドレイは言います。「私の父は共産主義の時代には珍しい骨董品のコレクターでした。今では高額な値がつく骨董品も当時はゴミとして捨てられていた時代でした。子供の頃に住んでいた私達のマンションは時々父のコレクションが天井まで詰まっていました」
アンドレイは若い頃から彫金を始めました。「初めて見た時は驚きました。彫金師は金属に文字を描いています。信じられませんでした。18世紀のカリグラフィと同様でした。」アンドレイはすぐに自分で彫金の道具を手に入れ、彫金を試してみました。「へたくそでした。醜い傷を金属の表面に残しただけでした。頭にきて、道具を窓から投げ出したほどです」しかしアンドレイは努力しました。そして彫金と時計の技術を習得しました。「技術がある程度身につくと数学と機械学の知識が必要なのがわかりました。サンクトペテルブルクの工業大学に入学し、運搬機専門の機械学部を卒業しました。今でも時々鉱山会社用の大型運搬機のデザインをします。」
工業大学卒業当時にアンドレイが作った彫刻と時計が注目され、ロシアのアメリカ大使館はアンドレイを「これからのキャリアを見るべき100人の若いロシア人」の1人として選びました。また当時重要な協業をセルゲーシマンツキの「宝飾彫刻学校」と始めました。その協業は現在でも続いています。www.greenstone.chat.ru.
アンドレイはサンクトペテルブルクの街の保存運動の指導者の1人として国際的に知られてきました。サンクトペテルブルクは黄金時代であった19世紀の後半にアールヌーヴォー様式の建物が多く建てられました。現在、新たな建築計画のために多くの歴史あるアールヌーヴォー様式の建物が解体の危機に瀕しています。また日露戦争を記念する大聖堂の広場の厳粛な雰囲気を壊す近代的なデザインの建物がすぐ近くに建造される計画もあります。アンドレイの「北部のベネチア」と呼ばれているサンクトペテルブルクの街の保存運動はまだ続いています。
このサイトでご紹介しているアンドレイの作品は主に2つのテーマで構成されたシリーズです。一つは海洋をテーマにした「In The Sea」シリーズ。もう一つは陸上をテーマにした「On The Land」シリーズです。各作品は完全にアンドレイの手造りで、原則として1作品の制作期間に1ヶ月〜1ヶ月半がかかります。作品作りを行うのにアンドレイは自作の道具を使っています。精巧な彫金加工は自作した特別な道具でないと出来ません。アンドレイはシリーズ以外の特注も受けています。ご希望であればお気軽にお問い合わせ下さい。